ちびっ子レスバトル大会 敗退

人生

毎日更新!SixTONESのジェシーと同い年でおなじみpizzapotato99です。ブログに書くことがなさすぎるので、自分の人生を切り売りするしかない段階にさっそく来てしまった。別に金がもらえるわけでもないしやる必要もないんだが、まあ、書くのが好きなんですよ。ということで、はじめてのブログについてすこし書きます。

ダイヤルアップ接続の手順を教えてくれたのは、父だったのか母だったのかまったく思い出せませんが、いつのまにか自分で出来るようになっていました。でもダイヤルアップ接続でインターネットをやっていたのって結構短い期間で、すぐに光回線とかになってたと思う。リヴリーアイランド、ぱどタウン、ふみコミュ、ハンゲーム、アメーバピグ、AMIGO CHAT、インスタント占いツクレールという占いが作れるサイトで作られた「たまごっち占い」に付随する掲示板で交流する、2ちゃんねるで出会った人間と10年越しにオフ会をするなど、インターネット・エリートである私が初めてブログを作ったのは、遡れば小学3~4年生のときだったと思います。

※ちなみにいままで小1で初めてブログ作ったと思ってたのだけれど、ヤプログ!(後述)のサービス開始の日付を調べたら辻褄が合わなかった。インターネットで年齢を開示した一番古い記憶が、リヴリーアイランドというゲームでの以下のようなやりとりなので、それくらいにやってたんじゃないかなと。

相手「何歳?」

 

私「小4」

 

相手「若!!!!!!」(去っていく)

 

ヤプログのキャラクター ヤプースくん

当時すでにブログを作るサービスは色々あったと思いますが、初めてブログを作ったのはヤプログ!です。なんか流行ってたと思う。もうあんまり覚えてないんですけど、ブログを通じて人と交流をしていたんです。

エリートの周りにはエリートが存在するものです。最初にブログを始めたのは、のちに私に「家庭教師ヒットマンREBORN!」を教えてくれることになる幼馴染の女の子だったと思います。現在は疎遠でもう二度と連絡を取らない可能性も高いですが、彼女のおかげで今があるといっても過言ではない。私は基本的にその子がやっていることをマネしたい典型女児だったので、お母さんにブログをやりたい!!と相談しました。あっさり承諾してくれて、お母さんのメールアドレスで登録してくれることになりました。当時のやりとりを今でもうっすらと覚えています。

母「ブログの名前はどうする?」

 

私「”ふぅ”にする」

 

母「それは、ブログで使うpizzapotato99の名前じゃない?」

※ちなみに母親も当時インターネットを通して同じアーティストのファンと交流するタイプでした。血だ。

母「”ふぅ”っていう名前がいいなら、ふわふわ日記とか~」

これが、ふぅのふわふわDiary誕生の瞬間でした。

ハーボットを設置したり、メロメロパークに憧れてたけどなんらかの理由でつけてなかったり。なんでだったかなー。つけてたかなー。そんな感じで細かい記憶や、書いていたことなんかもまったく記憶がない。しかし、登録をしたときの記憶と、削除したときの記憶があるんです。

ヤプログを通じて他の人とコメントしあったりする交流もありました。特に、とあるお姉さん(といっても同じ小学生。たぶん小6とか。お姉さんも友達同士でそれぞれやっていたような気がする。)としょっちゅうやりとりをしていました。でもたぶん半年も続いていないです。

それで、本当に内容は一切覚えていないんですが、ある日そのお姉さんとコメント欄で喧嘩をしました。これが人生で初めてのレスバです。

ブログは当然、母の監視下でやっていたのですが、投稿時の検閲などはありませんでした。母は私を信用していたので、自由にさせてくれていました。母の気づかぬ間にお姉さんと喧嘩をして、気づけば不貞腐れた私がそこにいました。

私とお姉さんのやりとりを見た母は「もうブログやめたら?」と提案してくれました。そしてあっさりと、ふぅのふわふわDiaryは母によって削除されたのでした。

これが私が初めてのブログの思い出です。その直後、懲りずに自分で勝手に登録したアメーバブログを、約20年越しに運営に泣きついて削除してもらった話などもありますが、これはまた別の機会に。

泣きついて消してもらったアメーバブログの一部。しょうもない。

ところで、最近、サブスクがテレビに接続されており、母親が使っているアカウントのユーザー名が「ふう」だったのですが、見ないふりをしました。

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